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非加入問題(2)

町内会やPTAの非加入問題って根深いのね。

「任意団体なんだから加入するもしないも自由」「互助の精神に基づく活動なのだから加入しないなら互助活動の結果として生まれる福利厚生や記念品を享受する権利はない」というのが長いこと同窓会理事や観光協会理事やPTA役員や町内会役員やその他諸々をやってきた中でまとめた持論なんだけど・・・・

非加入問題の整理

  • 「加入しないなんてありえねえ。」これは町内会やPTAが任意団体だということを理解してない点に問題がある。提供するお金や労力の義務に対して得られる福利厚生や記念品などの権利とのバランスが良いと思えば加入するし、割に合わないと思えば加入しない。町内会やPTAはその活動目的の公共性や地縁によって対象者全員が加入している(はず)という前提で長らく活動を続けているから、加入非加入自由な任意団体ということを意識する機会がほとんどないのも原因だろう。
  • 「加入しない人に福利厚生や記念品は提供できない。」これはまさにその通り。お金や労力を提供しなくても同じ福利厚生が受けられるなら加入しない方がお得ってことになる。奉仕活動ならお金や労力を提供する側と享受する側が一方通行なので問題は起きない(奉仕活動は福利厚生を提供することが目的で福利厚生を受けることは目的じゃない)が、互助活動にとっては活動の根幹に関わる重大な問題を引き起こす。人間誰しも楽したいんだから、お金と労力を出し合うことで得られるはずの結果が実はお金も労力も出さなくて得られるとなれば多くの人はそっちを選択してしまい、結果として活動が停止する。
  • 「加入するもしないも自由でしょう。」これはまさにその通り。団体の活動内容とそこに参加するにあたって提供しなきゃいけないお金や労力とのバランスを考えて割に合わないと思えば加入する必要はない。「ほとんどの人が加入してますし加入しないなんておかしいですよ」とか言われたって加入する必要なんかない。「加入しないなんておかしい」と言ってる方がおかしい。任意団体なんだから。
  • 「加入しないと福利厚生や記念品が提供されないのは差別だ。」これは町内会やPTAが互助団体だということを理解してない点に問題がある。町内会もPTAもお互いにお金と労力を出し合うといいことあるよねという互助の精神に基づいて活動している。その活動は自分にとってメリットがないと考えて加入しないのに、その活動の結果として生まれる福利厚生や記念品だけは享受しようなんていうのはあまりに虫が良すぎる。それは下品な言い方をすれば「ゴネ得」ってことだ。

それでも、非加入者に福利厚生や記念品を提供しないのは釈然としない

互助の精神に基づく活動とはいえ、金銭的報酬がある法人会や互助会と違い町内会やPTAの役員には金銭的報酬がない。そのぽっかり空いた穴は奉仕の精神で埋め合わせでもしなければ活動の取りまとめ役なんてなかなかできるもんじゃない。そのため町内会やPTAの役員など取りまとめ役を引き受ける人には、奉仕の精神に立脚して互助活動に関わる人も多い。そういう人にとっては「互助に参加した者が互助の結果として生まれる福利厚生や記念品を受け取れる」という互助の基本的な考えも、奉仕の精神を前に受け入れがたく感じてしまうんだろう。

特にPTAは「子ども」が絡むので難しい。ていうか会の構成員ではない「子ども」を絡めるから話がややこしくなるとも言える。その複雑な思いが文書になってしまった典型的な例が大津市教育委員会が出した「PTA運営の手引き」や神奈川県PTA協議会が出したガイドラインだ。

(大津市教育委員会「PTA運営の手引き」より)
PTAは『Parent-TeacherAssociation(保護者と親による会)』の略ですから、子どもとは無関係な組織です。
つまり、PTA活動は、学校園に通うすべての子どもたちの福利のために保護者と教師が自発的に行う活動であって、PTA会員の子どもたちの福利のために行われる活動ではありません。
従って、入園・入学式や修了・卒業式などでは、PTAから紅白まんじゅうや学用品が各児童生徒に贈呈されることがあります。
これらの費用はPTA会費から出されますが、もちろん、PTA会費は「学校園に通うすべての子どもたち」のために使われるものですので、PTA会費を支払っていない保護者の子どもであっても証書入れの筒や胸につけるリボン、学用品を受け取れない、ということはありません。
(神奈川県PTA協議会より)
PTAの活動を考えた場合、退会者あるいは未入会の保護者がいた場合であっても、子ども達に対する活動に差異を作るわけにはいかないと思われます。
活動の内容には実費を伴うものもあり、教育活動として必要なものであれば学校徴収への移管を考慮するか、未加入者にも適切な実費徴収には応じてもらう説明や、その旨の会則条項等を入れる必要があると考えます。
「本会の理念あるいは活動に同意できない場合の未加入や退会を認める。但しその場合も活動の内容上、同意に基づき適切な実費は徴収できるものとする。」等。

大津の手引きは、最初に子どもとは無関係な組織だと言っておきながら読み進めるといつの間にかPTAは子どもたちへの奉仕活動であるかのような書きぶりになってしまっている。PTAは「児童生徒の健全な成長をはかることを目的として会員相互の学習その他必要な活動を行う団体」(昭和42年 社会教育審議会報告より抜粋)だ。保護者と教職員がお金と労力を出し合ってお互いに助け合って子育ての勉強をしたり教育環境の充実をしたりする大人同士の互助団体であり、子どもたちの福利のために活動する奉仕団体じゃない。パトロールや講演会や保険加入や高校見学や卒業祝い品製作などすべては会員同士の助け合い活動であり、その多くが「結果として」子どもたちの福利につながっているだけ。

町内会は子どもが何かもらえるかどうかと関係ない活動も多いので、会員の子ども/非会員の子どもが非加入問題の中心になることはほとんどない。会員の子どもが町内会活動から福利を受けられるかどうかは世帯主が町内会に加入するかしないかの結果でしかないから。

PTAだって子どもが何かもらえるかどうかは保護者や教職員がPTAに加入するかしないかの結果でしかない(会員はもらえる、非会員はもらえないという当たり前の話の結果が子どもがもらえるもらえないにつながっているだけ)。こんな当たり前の結果を議論してもしょうがない。なぜ加入するのかなぜ加入しないのかという原因が議論されなければならない。ところが

  • 任意団体なのだから加入するもしないも自由
  • 互助の精神に基づく活動なのだから、加入しないなら互助活動の結果として生まれる福利厚生や記念品を享受する権利はない

こんな当たり前の話がひとたび「会員の子ども/非会員の子ども」というレトリックを持ち込むだけで福利厚生や記念品製作が「会員の互助活動」ではなく「子どものための奉仕活動」になってしまい話がグッチャグチャになる。

「会員同士の助け合い活動」と「子どもへの奉仕活動」とはまったく違うんだけど、PTAの役員の多くは、奉仕の精神で互助団体の取りまとめ役を引き受けているから「会員同士の互助」と「結果としての子どもへの福利」との区別とか折り合いがなかなかつけられなくて悩んじゃうんだろう。それで大津市教育委員会や神奈川県PTAみたいな互助活動の本質を根本から覆すようなガイドラインを作っちゃうんだろうなと思う。そして非加入者も、互助活動に参加しないなら互助の結果も受けられないなんて当たり前のことなのに「子ども」を絡めた瞬間に当たり前ではなくなってしまってる人がいるんだろうなと思う。

加入/非加入については「任意団体なのだから」とドライな対応を求め、福利厚生や記念品については「子どもがかわいそう」などとウェットな対応を求めるなんて都合よすぎ。PTAも非加入者もドライとウェットを都合よく使い分けるから解決できない問題になってしまうんであって、子どもがかわいそうならそのウエットな思いで加入すればいいし、ドライな心でスパッと加入しないなら子どもがかわいそうとかウェットなこと言わなければいい。

非加入問題

法人会、商工会議所、商店会、町内会、PTA、同窓会・・・・

どの団体も加入するもしないも自由なので、わたしも加入してるものもあれば加入してないものもある。

ここで確認しておきたいのは、どの団体も『互助の精神』に基づく活動だってこと。

たとえば横須賀法人会は、横須賀市内の企業発展のために、税制や決算処理などについての勉強会や講習会や異業種交流会、経営者をサポートする福利厚生制度などさまざまな活動が行われている。もちろんこれは加入してお金と労力を出すことと引き換えに得られるものであって、金も労力も出さない非加入企業は福利厚生制度を受けられないし、会員向けイベントに参加できないし、公開イベントも参加費が倍くらいとられたり、もちろん記念品なんてもちろんもらえない。法人会はお互いにお金や労力を出し合って助け合う互助の精神に基づく活動だから「同じ横須賀市内の会社なのに非加入企業には福利厚生や記念品は提供されないとか差別だ!」はありえない。

ところが町内会とかPTAになると、たまにこういう騒ぎ方をする人がいるんで困る。

「町内に住む人たちのためとか言っておきながら、町内会に加入しないと市の広報紙を持ってきてくれないとか粗品を配ってくれないとか食事会に参加できないとかお祭りの参加費が高いとか差別だ!けしからん!」とか、

「保護者や生徒のためとか言っておきながら、PTAに加入しないとPTAの広報紙をもらえないとか記念品を配ってくれないとか勉強会に参加できないとかイベント参加にお金をとるとか差別だ!けしからん!」とか言う人がいる。

これってたぶん町内会やPTAを奉仕の精神に基づく活動と勘違いしてるんだと思う。お金にも時間にも余裕ある人がそのお金と時間を使って奉仕活動や社会貢献しようっていうのはロータリークラブやライオンズクラブです。法人会や商工会議所や商店会や町内会やPTAや同窓会は、お互いにお金と時間を出し合えば結果的にお互いのお金や時間を節約しながら大きな結果を生み出せるんじゃないのという互助の精神に基づく活動。

たとえば横須賀法人会は、横須賀市内の企業発展に貢献するとは言ってるが、横須賀市内の企業への奉仕活動をしてるんじゃなく、お互いにお金や労力を出し合えばいいことあるよねという考えに賛同した企業がお互い助け合って発展を目指し活動している。

町内会も、町内に住む人たちのためとは言うが、住人への奉仕活動をしてるんじゃなく、お互いにお金や労力を出し合えばいいことあるよねという考えに賛同した住人がお互い助け合って便利な生活や豊かな生活を目指し活動している。

PTAも、保護者や生徒のためとは言うが、保護者や生徒への奉仕活動をしてるんじゃなく、お互いにお金や労力を出し合えばいいことあるよねという考えに賛同した保護者や教職員がお互い助け合って子育ての勉強や教育環境の改善を目指し活動している。

東京YMCAのホームページにわかりやすい表現があった。『YMCAはボランティアを、ボランティアをする側からの"一方的な支援・援助"や"奉仕活動"ではなく、他者との相互関係の中で考え、感じ、行動するものであると考えています。共に生きるために痛みや喜びを分かち合うことが、YMCAのボランティアのはじまりです。』

どの団体も『互助の精神』に基づく活動だから「お金も労力も出さないけど果実だけいただく」は通用しない。法人会や商工会議所や商店会では当たり前のことなのに、なぜか町内会やPTAだと団体と非加入者との間で問題が起きる。

おそらく、町内会もPTAも長きにわたってほぼ全員加入という前提で活動しているから、団体側にも非加入者側にも「任意」と「強制」「互助」と「奉仕」がいろいろごっちゃになってる人がいて、それがいわゆる「非加入問題」につながってるんじゃないかなと思う。

昭和42年の国の社会教育審議会報告でPTAとは『児童生徒の健全な成長をはかることを目的とし、親と教師が協力して、学校および家庭における教育に関し、理解を深め、その教育の振興につとめ、さらに、児童生徒の校外における生活の指導、地域における教育環境の改善、充実をはかるため会員相互の学習その他必要な活動を行う団体である』と述べられている。

長々と目標が書いてあって最後に「会員相互の学習その他必要な活動を行う団体である」と締めくくっている。まさに「互助の精神」に基づく団体であると書かれている。

だから「ぜんぶ自分でやるから放っておいてくれ」とか「助け合うのはいいけどその目的は自分には不要」って人は加入する必要はない。法人会、商工会議所、商店会、町内会、PTAみんな同じ。そして加入しない以上は「果実はよこせ」ってのはまったくもってわがままな話。

町内会では、互助の精神によってどんなメリットのあるのかを考えてみる。
例えば、市役所が広報紙を配るとする。うちから市役所へ行って帰ってくるのに40分。ご近所10軒がみんなそうしたら40分x10世帯=のべ400分もの時間がかかる。ところが誰かひとりがまとめてもらってきて帰宅後に20分かけてご近所9軒に配ったらどうだろう。その人は40分+20分で自分の分だけ取りに行くよりもえらく時間を取られるが、一方で近隣の9世帯はまったく時間を取られずに済む。
例えば、ゴミ出しを各自の家の前に出すと汚れた路肩の掃除に毎日5分かかる。ご近所10軒がみんなそうしたら5分x10世帯=のべ50分の時間がかかる。ところがゴミを1ヶ所に集めることにしてゴミ集積所の掃除を誰かひとりでやることにすれば、掃除する人は15分もかかってえらく時間を取られるが、一方で近隣の9世帯はまったく時間を取られずに済む。
この調子で、みんながいろんな役割を担当すれば、自分に割り当てられた役割をするのには自分の分だけをやるのに比べてずいぶん時間を取られてしまうが、他のことはすべて他の人がやってくれるのでほとんど時間を取られずに済む。トータルで考えるとずいぶんと生活に余裕を生み出してくれる。こういった互助の精神に基づく活動は、お金や時間に余裕がない人にとってこの上なく効率的だ。
PTAだと
お祭りの日に我が子が悪いことをしてたり巻き込まれたりしてないか心配して様子を見に行くなんてのを全員の親がやるより、担当を決めて誰かが見回りに行くってことにすれば忙しくて様子を見に行く時間がとれない保護者にとってこの上なく便利だ。
学校生活での事故などを補償する保険に加入するとしても、個々の家庭が保険会社と個別に契約するより、担当を決めて誰かが全員分をまとめて契約すれば書類を書く手間が省けるししかも団体割引で安く保険に加入できるんで時間やお金に余裕がない保護者にとってこの上なく便利だ。
受験するかもしれない高校を見学しておくなんてのをそれぞれの親がそれぞれ高校に連絡して手続きして見学にいくより、誰かがまとめ役になって面倒な交渉や手続きを担当すればまとめ役の人はえらい時間を取られるけど他の親はまったく時間を取られずに済むだけでなく、高校側もまとまった人数からの申し込みなら見学OKだったり場合によっちゃ案内の人を付けてくれたりなんだったら貸切バスで効率的に移動して同じ時間で1校多く見学できたりと、時間やお金に余裕がない保護者にとってこの上なく便利な福利厚生が提供できる。
このように町内会もPTAも、それぞれの担当になった部分は、自分の分だけやるのに比べてえらく時間をとられてしまうけど、自分の担当以外の部分は他の人が全部やってくれるんでトータルで考えたら助かる。ここでは時間やお金の節約に焦点を当てて意義を説明したが、節約だけでなくひとりではできない大きなイベントができるなど、人が集まって助け合うことの意義は多い。

閑話休題

繰り返しになるが、町内会もPTAも、ひとりではできないことやひとりでやったらお金も時間もかかってしまうことがお互いにお金と労力を出し合えばできるようになったりお金や時間の節約ができるんじゃないかっていう「互助の精神」に基づく活動であって奉仕活動じゃない。全員が等しくお金と労力を出し合うことで初めて成り立つ活動。だから「忙しくて結果的に労力が出せない」はあっても「忙しいので端っから労力は出さない」はありえない。微妙な表現の違いだけどこれすごく重要。

つまるところ、同じ町内に住んでる人同士や同じ学校に子どもを通わせている親同士で、お金と時間を出し合ってお互い助け合ったらいいことあるよねと思う人は町内会やPTAに加入するといい。助け合ったっていいことないよとかそんな程度のことは自分でできるとか不要だとか思う人は加入しなければいい。ただそれだけのこと。実にシンプルで、そこには「問題」は生じないはず。

なのに、世間では町内会やPTAに「非加入問題」がある。

その原因は先に書いた通り「任意」と「強制」、「互助」と「奉仕」がいろいろごっちゃになっている人が、加入者側にも非加入者側にもいるってことだと思う。

  • 任意団体なんだから、加入する人もいれば加入しない人もいるのが当たり前
  • 互助団体なんだから、加入しなければ福利厚生や記念品がないのが当たり前

町内会もPTAも互助の精神に基づく任意団体。ここが理解できていれば「加入しないのはおかしい!」って話にはならないし、「加入しないと不便だったり記念品がもらえないのはおかしい!」って話にもならないはずなんだけどな。

余談になるけど、互助の精神に基づく活動というのは、人に頼らなくても生きていけるという「自助の精神」とか「自立の精神」がその根っこにあって初めて成り立つ。自立できてない人は他者を助けることができず一方的に助けてもらうだけになって互助が成立しない。自立した者同士が次の段階として互いに集まって助け合うことでより大きな成果を得ようとするのが互助。