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エチルヘキサン酸の怪

 国内の化粧品では全成分表示が法律で義務づけられている。法律で決まっているのは「全成分を表示をする」ことだけで、どんな名称を使うかについては法的拘束力はない。だから勝手にステキな成分名をつけてキラキラ感満載の成分表をつくっても消費者に無用の誤解を与える内容でなければまあ問題ないっちゃ問題ない。しかし各社が勝手にやるとわけわからんことになるので日本化粧品工業連合会(粧工連)が作成する「化粧品の成分表示名称リスト」に書かれている名称を使用するというのが業界ルールになっている。そして多くの会社がこのリストに基づいて成分表を作成している。

 つまり粧工連が作成している「化粧品の成分表示名称リスト」は法的強制力はないもののそれに近い影響力を持っている。だからこのリストが右往左往すると業界が右往左往してしまう(正確には薬事担当者が右往左往して、その周辺の技術系社員や版下作成担当者がブルンブルン振り回されて第二宇宙速度を超えてしまう人もいるとかいないとか)。

 さて、これから始まる本日のグチを理解するために押さえておきたい知識をひとつ挙げておく。

  • 粧工連は作成した表示名称のひとつひとつに成分番号(6桁の数字)を付けて整理している。

 まず日本化粧品成分表示名称事典の【第1版】を持っている人は350ページを開いて「トリオクタン酸トリメチロールプロパン」を探してほしい。この表示名称は成分番号551877として登録されていることが確認できる。

 次に日本化粧品成分表示名称事典の【第2版】を持っている人はその「トリオクタン酸トリメチロールプロパン」を探してほしい。実はどこにも載ってない。成分番号551877の表示名称は「トリエチルヘキサン酸トリメチロールプロパン」と名前を変えて431ページに掲載されている。

 第1版で「トリオクタン酸トリメチロールプロパン」が第2版では「トリエチルヘキサン酸トリメチロールプロパン」に表示名称が変更になっている。ところが、粧工連のホームページでは「トリエチルヘキサン酸トリメチロールプロパン」を探しても載っていない。今も「トリオクタン酸トリメチロールプロパン」のままだ。

 で、どっちなの。名称が変わったの?変わってないの?

 粧工連は欧米標準のINCIに準じて表示名称を決めている。この成分の表示名称が決められた2000年当時INCIでは炭素6個の2位から炭素2個が分岐している構造をOctane(オクタン)と呼んで”Trimethylolpropane Trioctanoate”という名称をつけていた。本来Octaneは炭素8個が直列している構造をさす用語であり、分岐しているこの成分の構造はEthylhexane(エチルヘキサン)という用語をあてるべきである。しかし当時のINCIでは慣用的にOctaneという用語をあてていた。そこで粧工連もこの構造に「オクタン」をあてて「トリオクタン酸トリメチロールプロパン」という名称を決定した。

 ところが粧工連がトリオクタン酸トリメチロールプロパンという名称を決定した直後、当のINCIではOctaneは成分の化学構造を正しく表しておらず誤解を生じるとして”Trimethylolpropane Trioctanoate”を”Trimethylolpropane Triethylhexanoate”に改称してしまった。その結果、日本化粧品表示名称事典第1版が出版されたときには「Trimethylolpropane TriethylhexanoateというINCIに対して日本ではトリオクタン酸トリメチロールプロパンという表示名称を付けました」という日本だけおバカさんにみえる状況になってしまった。

 で、ここからややこしいことになってくる。第1版の出版から4年後、日本化粧品表示名称事典第2版の出版に際してトリオクタン酸トリメチロールプロパンはトリエチルヘキサン酸トリメチロールプロパンに改称されていた。ところが粧工連には「一度作成した表示名称は何があっても変更しないし削除もしない」というルールがある。このルールに従えばトリオクタン酸トリメチロールプロパンを改称してはいけなかったことになる。ルールに従うならトリオクタン酸トリメチロールプロパンは改正表示名称ができましたよという注釈を付けた上で放置してトリエチルヘキサン酸トリメチロールプロパンという表示名称を追加するのが正解ということになる。たとえば、オクタン酸セチルはこのルールに則って処理されている(オクタン酸セチルには改正表示名称がありますよという注釈を付けて放置し、エチルヘキサン酸セチルを追加登録している)。

 これは私の想像だからホントのところは全然わからないが、オクタンをエチルヘキサンに変更するのだけは例外として実施したいという考えと、どうであろうと変更はしないという考えが粧工連内部で混ぜこぜになってるんではないだろうか。粧工連関係者に話を聞くと人によって言うことが違うし、第2版で変更になっているのにホームページのデータは変更になっていないことも説明がつく。

 どっちでもいいんだけど、どっちかに決めてもらわないと困るんだよね。どっちつかずというのが一番悪い。どうしたもんか悶々とした日々を過ごしている薬事担当者が多いんじゃないだろか。私も悶々としている。

 ところで悶々としている薬事担当者に朗報。ここにきてルール堅持で確定と思える状況がでてきた。最新の表示名称追加分リストに以下の表示名称が出てきた。

  • エチルヘキサン酸アルキル(C12-15)(成分番号562731)
  • エチルヘキシルグリセリン(成分番号558813)
  • セバシン酸ジエチルヘキシル(成分番号560098)
  • トリエチルヘキサノイン(成分番号562335)
  • トリエチルヘキサン酸トリメチロールプロパン(成分番号562779)

 日本化粧品成分表示名称事典の第2版を正とするなら、これらの名称は全て重複してしまうので追加されないはず。しかし実際に追加リストにこれらが登場したということは第2版での名称変更は否定されたことが前提になる。えーっ、Cosmetic-Info.jpは日本化粧品表示名称事典準拠でやってるんだよなあ。厄介だなあ。

 日本化粧品表示名称事典第2版が出版されてからもう7年近く経つ。もういいかげん第3版が出てもいいだろう。第2版で名称変更された表示名称たちが第3版でどのように扱われるか確認してCosmetic-Info.jpの対応も再考しよう。はあぁぁぁぁ・・・・・(深いため息)

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INCIと表示名称の不思議な関係

 化粧品の成分表示に使用する成分名称は、米国では PCPC が作成している INCI (International Nomenclature of Cosmetic Ingredients) を使っている。日本では粧工連が作成している化粧品の成分表示名称を使っている。PCPC が作成した INCI に対して粧工連が化粧品の成分表示名称を作成するという流れなので両者は1:1で対応するはずなのだが、いろいろ事情があって理想通りにはなってない。

 ”TALLOW” という INCI がある。”TALLOW” に対して粧工連は「牛脂」という表示名称を割り当てている。ICID(INCI辞書)で “TALLOW” を引くとJapanese Translationの欄に「牛脂」と書いてあり、表示名称事典で「牛脂」を引くとINCIの欄に “TALLOW” と書いてある。「TALLOW=牛脂」化粧品技術者ならごく当たり前のように知っている関係。一見、PCPCと粧工連の見解に相違はないようにみえる。ところが “TALLOW” の定義には “Tallow is the fat derived from the fatty tissue of sheep or cattle.” と書いてある。

シ、シープぅ?!

 ”TALLOW” って羊の脂肪でもいいの? で、でも表示名称は「牛脂」だよ。念のために「牛脂」の定義をみても「本品は、ウシ Bos taurus の脂肪組織から得られる脂肪である。」と書いてある。牛限定!!しかし “TALLOW” は羊の脂肪でもOKなのだ。

 知人から「久光くん、TALLOWと牛脂の定義がズレてるの知ってた?」と聞いたときは「まさかぁ」と思ったけど確かにズレてる。いつズレたんだろう。古いICIDを調べるために2004年版のICIDが所蔵されている横浜市立中央図書館に行ってきた。↓2004年版ICIDの該当箇所をコピー

 へえ、2004年版(第10版)の時点ですでに羊を含んでいたんだ・・・けっこう以前からズレてんのな、知らなかった。それに2004年版の時点ではTALLOWは牛脂のほかにトリ牛脂脂肪酸グリセリルでもOKだったんだ。トリ牛脂脂肪酸グリセリルって・・・・ん?牛脂を加水分解で牛脂脂肪酸とグリセリンに分解して、その牛脂脂肪酸と別のグリセリンから再度、牛脂を合成しなおしたものってことか? んー、ま、どうでもいいや。それより今は2004年版ICIDでもTALLOWは羊OKってことが問題だ。ってことは狂牛病の頃かな。あれで牛が使いづらくなったから急きょ羊も定義に追加したとか。狂牛病で化粧品業界がバタバタしたのは2001年末だったかな。ああっ、なんかスゲー忙しかった記憶が。しかしあの頃を境になんていうか原料問題がよく起きるようになったような気がする。あの原料が使用禁止とか、この原料の製造ラインが止まったとか、その原料が販売終了とか、原料メーカーが倒産したとか・・・・・おっと話がそれた。ICIDは2年おきに出版されているので狂牛病問題より古いとなると2000年版(第8版)ということになる。そんな古いICIDはどこの図書館にあるかなあとネットで検索・・・・・国立国会図書館か・・・・ということで資料複写請求した。↓2000年版ICIDの該当箇所のコピー

 えぇーっ?! 2000年版(第8版)にもsheepが入ってるぅっ! なに、なに、どういうこと? 表示名称制度開始当初からTALLOWにはsheepが入ってたのか。じゃあなんで “TALLOW” に「牛脂」なんて表示名称をつけたんだ? これじゃ羊の脂肪を使って “TALLOW” と書いてある化粧品や原料を輸入するときに「牛脂」と訳してしまったら厳密には定義に合致しないことになるんでないの? えぇーっ!? いいの? それでいいの? さるお方にことの経緯をお尋ねしたところ、はるか昔から日本ではみんなTallow=牛脂と思い込んでいた。2001年の全成分表示制度開始直前に気づいたけど、現実問題として羊を使っているTALLOWはほとんど存在しない(だからみんなTALLOW=牛脂だと思い込んでいた)から、TALLOW=牛脂でいいよってことになったらしい。

 でもな、気がついちゃうと気になってしょうがない。気持ち悪いよぉ。気持ち悪いけど今さら「牛脂」を「獣脂」とかに改名されてもよけい気持ち悪い。

 でな、今後作成されている表示名称では”TALLOW”を「タロウ」と音訳することになったらしいよ。すでに「タロウアミドMEA」「タロウトリモニウムクロリド」「水添タロウアミドDEA」「水添タロウエス-60ミリスチルグリコール」「水添タロウグルタミン酸2Na」などの表示名称が登録されている。タロウ、タロウ、タロウ・・・・ウルトラマ・・・・いや、なんでもない。