INCIと表示名称の関連がグチャグチャ

 化粧品の包材に成分表を記載するときに使う成分の名称について。米国では米国の業界団体「Personal Care Products Council(略称:PCPC)」が International Nomenclature of Cosmetic Ingredients (略称:INCI)というものを作っている。微妙なローカルアレンジがあるものの欧州や東南アジアもINCIを使って化粧品の成分表を作成している。日本はというと日本の業界団体「日本化粧品工業連合会(略称:粧工連)」が「化粧品の成分表示名称」というものを作っている。「化粧品の成分表示名称」は「INCI」をもとに、日本語に訳したり音訳したりして作られる。だから、新しい成分に名前をつけたいときはまずはPCPCのガイドラインに沿ってINCIを考えてPCPCに登録申請する。するとPCPCでゴニョゴニョっと審議されて、そのままかちょっと修正が入るかして受理されてINCIが決まる。そしたら次に粧工連のガイドラインに沿って表示名称を考えて「えっと、INCIがこういう名前に決まったので、これにこんな感じの表示名称をつけてくださいな」と粧工連に申請する。そうすると粧工連でゴニョゴニョっと審議されて、そのままかちょっと修正が入るかして受理されて表示名称が決まる。

 この流れだと1つのINCIに対して1つの表示名称が決まるわけなんだが、現実にはそうキレイにはいかない。この制度ができて10年が経ったわけだが、年が経つにつれてキレイじゃない部分が徐々に蓄積され増大している。細かいこと考えだすともうグチャグチャって感じがしてきた。

 グチャグチャしてきている大きな原因の一つはPCPCと粧工連での名称管理方法の違い。PCPCでは名称決定ルールの変更などで過去に作成したINCIを変更する場合、辞書中で名称を上書きしてしまう。見出し語から消してしまうのだ。旧名称はTechnical Nameという欄に移されて「まあ、過去にはそんな名称だったこともあったわなあ」という扱いをする。一方の粧工連では名称決定ルールの変更などで過去に作成した表示名称を変更する場合、旧名称はそのまま残して辞書に新名称を追加する。旧名称もずっとそのまま辞書中に残るのだ。名称を「上書き」するPCPCと、名称を「追加」する粧工連、この微妙な方針の違いで状況がグチャグチャになってきている。

 典型的な例をひとつ紹介する。かつて「the extract of the flowers and leaves of Viola odorata.」(ニオイスミレの花及び葉のエキス)という定義で「VIOLA ODORATA EXTRACT」というINCIがあった。粧工連はこのINCIに対して「ニオイスミレエキス」という表示名称をつけた。もちろんその定義は「ニオイスミレの花及び葉のエキス」と書かれている。

 この後、PCPCは植物エキスのINCIには抽出に使った部位も含めるというルールを作った。これによって「VIOLA ODORATA EXTRACT」は「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」に変更になった。さっき書いたとおりPCPCはINCIを変更する場合は辞書で見出し語を上書きする。つまりINCI辞書の中で「VIOLA ODORATA EXTRACT」は「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」で上書きされたのだ。PCPCのINCI辞書では各INCIについて、日本の表示名称では何と書くかとか中国の表示名称では何と書くかという情報も付記されている。ここに「ニオイスミレエキス」が書かれている。INCI辞書の「VIOLA ODORATA EXTRACT」は「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」で上書きされたので、現在のPCPCの公式情報では「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」は日本の表示名称では「ニオイスミレエキス」と書くという情報になっている。ところが粧工連ではINCI変更のすべてに追随することができず、多くの表示名称で対応するINCIが古い名称のままになっている。たとえば「ニオイスミレエキス」については粧工連の公式情報では今も「VIOLA ODORATA EXTRACT」というINCIに対応して作られた表示名称であるということになっている。

 この先さらにグチャグチャになるので、ここでいったん状況を整理しておこう。

  1. ニオイスミレの花及び葉のエキスに対して
    PCPCはINCI「VIOLA ODORATA EXTRACT」を作成
    粧工連は表示名称「ニオイスミレエキス」を作成
  2. ニオイスミレの花及び葉のエキスに対して
    PCPCはINCI辞書の「VIOLA ODORATA EXTRACT」を「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」で上書きして変更
    粧工連は未対応
  3. これによって、
    PCPCではINCI「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」の表示名称は「ニオイスミレエキス」であるというのが公式情報
    粧工連では表示名称「ニオイスミレエキス」のINCIは「VIOLA ODORATA EXTRACT」であるというのが公式情報

 でもまあ、これくらいならちょっと調査すれば状況を把握するのにそれほど時間はかからないし、他人に説明するのもそれほど難しくはない。粧工連がINCIの最新情報に追随できず古い情報のままになっているという説明でOKだ。ところが「ニオイスミレエキス」の場合、ここからさらにもうひとひねりある。

 PCPCは植物エキスのINCIには抽出した部位も記載することにしている。だから例えばセイヨウアカマツ(PINUS SYLVESTRIS)という植物のエキスだと

PINUS SYLVESTRIS BARK EXTRACT(樹皮エキス)
PINUS SYLVESTRIS CONE EXTRACT(球果エキス)
PINUS SYLVESTRIS BUD EXTRACT(花芽エキス)
PINUS SYLVESTRIS LEAF EXTRACT(葉エキス)

などがズラズラッと用意されている。ところで植物エキスの中には「全草のエキス」というのもある。部位を特定せずその植物まるごとから抽出するエキス。PCPCは全草のエキスについては部位は記載しないことにしている。そしてとうとう最近になって「the extract of the whole plant, Viola odorata.」(ニオイスミレの全草のエキス)が新規成分としてPCPCに申請された。PCPCは名称決定ルールに則ってこれに「VIOLA ODORATA EXTRACT」というINCIをつけて登録した。つまり最新のINCI辞書によれば「ニオイスミレの花及び葉のエキス」は「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」であり、「ニオイスミレの全草のエキス」は「VIOLA ODORATA EXTRACT」となっている。PCPCにしてみればかつての「(花及び葉のエキスである)VIOLA ODORATA EXTRACT」はすでに辞書から消し去っているので何の問題もない。

 問題は、日本だ。粧工連の公式情報では現在(2011.2.8)でも表示名称「ニオイスミレエキス」が「花及び葉のエキスである」と定義されていて、そのINCIは「VIOLA ODORATA EXTRACT」であると記載されている。ところが「VIOLA ODORATA EXTRACT」をPCPCのINCI辞書で調べると「全草のエキスである」と定義されてしまっている。INCIと表示名称の相互関係を名称だけで突き合せをしていると定義が異なる名称同士がつながってしまうという状況になっている。さきほど整理した状況にこの状況を加えると以下のようになる。

  1. ニオイスミレの花及び葉のエキスに対して
    PCPCはINCI「VIOLA ODORATA EXTRACT」を作成
    粧工連は表示名称「ニオイスミレエキス」を作成
  2. ニオイスミレの花及び葉のエキスに対して
    PCPCはINCI辞書の「VIOLA ODORATA EXTRACT」を「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」で上書きして変更
    粧工連は未対応
  3. これによって、
    PCPCではINCI「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」の表示名称は「ニオイスミレエキス」であるというのが公式情報
    粧工連では表示名称「ニオイスミレエキス」のINCIは「VIOLA ODORATA EXTRACT」であるというのが公式情報
  4. ニオイスミレの全草のエキスに対して
    PCPCは「VIOLA ODORATA EXTRACT」を作成
    粧工連は未対応
  5. これによって、
    粧工連の表示名称事典では表示名称「ニオイスミレエキス」は「花及び葉のエキス」でINCIは「VIOLA ODORATA EXTRACT」と書いてあるが、INCI辞書で「VIOLA ODORATA EXTRACT」を調べると「全草のエキス」と書いてある。

 全草のエキスである「VIOLA ODORATA EXTRACT」を含んでいる化粧品を輸入するとき、粧工連の表示名称事典をもとに「ニオイスミレエキス」と訳して記載すると厳密には誤りになる。なにしろ表示名称の「ニオイスミレエキス」は花及び葉に限定されてるのだから。逆に「ニオイスミレエキス」を含んでいる化粧品を海外に輸出するとき、粧工連の表示名称事典をもとに「VIOLA ODORATA EXTRACT」と訳して記載すると花と葉しか使ってないエキスなのに、全草のエキスであると記載したことになるから微妙な状況になる。花及び葉のエキスである「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」を含んでいる化粧品を輸入するとき、粧工連の表示名称事典をいくら調べても対応する表示名称は出てこない。この場合は定義をちゃんと調べれば「ニオイスミレエキス」が定義で合致する名称であることがわかるのでこれを使用すればいい。または、粧工連に対して「VIOLA ODORATA FLOWER/LEAF EXTRACT」に表示名称をつけてほしいと申請してもいい。申請すれば粧工連はおそらく「ニオイスミレ花/葉エキス」という新しい表示名称を事典に「追加」するだろう。そして「ニオイスミレエキス」には(改正表示名称)という項目が追加され「ニオイスミレ花/葉エキス」への移行を推奨する旨が記載されるだろう。

 ところで、粧工連はこの状況下でもし(INCIで新しく登録された全草のエキスである)「VIOLA ODORATA EXTRACT」に対して表示名称をつけてほしいという申請がきたときにどんな表示名称をつけるつもりなんだろう。粧工連は古い名称を削除せず、新名称の追加だけで対応している。この方針を続ける限り「(花及び葉のエキスである)ニオイスミレエキス」はずっと表示名称事典から消えない。だから「(全草のエキスである)VIOLA ODORATA EXTRACT」に対して「ニオイスミレエキス」という表示名称をつけるわけにはいかない。二物一名称になってしまう。あ、でも粧工連は「オレンジ油」で二物一名称をやってる前例があるから(日本化粧品成分表示名称事典の第2版で「オレンジ油」を調べてみよう。)やっちゃうかなあ。それとも「ニオイスミレ全草エキス」って方法もあるか。いやいや、ここはウルトラCで現行のニオイスミレエキスの定義を「全草のエキス」に書き換えちゃうか。

 ということなので、INCIと表示名称の関連性についてはあまり深く考えるとグチャグチャになって何が正解なのかわかんなくなっちゃうというか、PCPCと粧工連で見解がズレちゃってるんで正解はないと考えた方が無難。とりあえず「2010年現在の粧工連の情報ではこうだった」とか「2009年のINCI辞書にはこう書いてあった」とか「今日現在のPCPCオンラインデータベースではこうだった」とかなんでもいいので「何か」根拠をもっておけばそれでいいんじゃない? どれを根拠にしたってどうせ別の情報とは矛盾するんだし。ま、そのへんはウソにならない範囲でテキトーにやるしかないよ、ホント。